今治市の来島海峡に浮かぶ周囲約3キロの小さい島、小島(おしま)
日清戦争後、ロシアとの衝突が避けがたくなった明治30年代、日本の各地で要塞の建造がすすめられました。この小島も1900年(明治33)に大久野島等と共に芸予要塞に指定され、指令台・砲台・探照灯・発電所が設置されたそうです。
しかし日露戦争では一度も使用されることがないまま終戦を迎え、
1924年(大正13)の軍縮時に廃止された施設。。。
いや~知りませんでした^^;
一応「趣味歴史です」とノタマウ自分としては、これは行ってみなくてはと、早速その歴史背景、立地、その島の由来etcを調査、そして先日クルーを募り、上陸作戦を決行致しました。
漁港から民家の間の細い路地を、観光地図を頼りに登っていき、途中又下ったりしつつ、
暑いのとアップダウンと滑る道に一部隊員からは不満轟々(笑)
おまけに狭い道の、小さい島、道も無いのに道に迷う始末(笑)
そして順々と施設跡に到着して参りました^^b 隊員達もやや満足(笑)
↑発電所跡
明治ですから石炭の火力発電か!?この建築材を運ぶのにも大変な労力だったことでしょう。
↑南部砲座跡 12センチ砲2門設置だったとのこと 馬島~糸山方面を守った砲台です。当時は前の樹木は伐採されていたのでしょう。「あまり見えん@@;」とまたまた不満の隊員(笑)
現在は遊歩道を有志の方々が整備除草されているようです。保管管理状態も至って良いです。管理されてる方々、ご苦労様です。感謝!
さあ、これから徐々に島の内陸部山頂へと登っていきます。
不満タラタラの隊員たちの運命は如何に!? 続く (笑)