瀬戸内徒然 彷徨編

愛媛エステート号の改修を昨年から行っておりましたが

今年ようやく!!「やや完成・・・」しました。

「やや完成!?」とはこれ如何にではあるのですが(笑)

とにかく大事なことは「浮く」「走る」「曲がる」の大原則

これはクリアしたのです。

 

そもそも瀬戸内の島々を自由に巡ってみたいが動機の「海趣向」でしたので

歳をとってきたとはいえ、まだまだあっちこっち行ってみたい欲望は沸々と湧いている

のです。

そんな瀬戸内には本当に色んな島が!

古事記の登場するイザナギ、イザナミの神の「国産み」にも

 

「そこで、二神はオノゴロ島に帰り降って、天の御柱を先ほどと同じように行きめぐっ

た。そこで、イザナギが先に「あなにやし、えをとめを」と言い、後からイザナミが

「あなにやし、えをとこを」こう言い終えてから

淡道之穂之狭別島を生んだ

次に伊予之二名島を生んだ。この島は身体が1つだが顔が四つあり、それぞれの顔に

名前がある。すなわち伊予国を愛比売といい、讃岐国を飯依比古といい、

粟国を大宣都比売といい、土左国を建依別という。」

 

等々古来からの繋がりを彷彿とする記述があるのです。

古から流通手段として大きかった船路の瀬戸内だけに、それはもう様々な遺構や史跡、

歴史の舞台が調べれば調べるほど出てくると思うのです。

まあその辺はこの地域が、戦国時代やその後の江戸時代、明治維新で主導権握ってない

ので残ってない部分ではあるのでしょうね。

そこで今回目指したのは広島県にある下蒲刈島!

*この島は

「かつて朝鮮通信使が寄港した、歴史ある瀬戸内海要衝の島

瀬戸内海の安芸灘とびしま海道に属する下蒲刈島。安芸灘とびしま海道のなかで最も西側

(広島県側)にあり、広島県呉市から安芸灘大橋で繋がっています。お隣の上蒲刈島とは蒲刈大橋で繋がっており、「安芸灘とびしま海道」西側の玄関口としての役割を果たす島です。

下蒲刈島は古くから瀬戸内海の要衝であり、島の東側の三之瀬地区をかつての広島藩が整備したことから、港町として栄えました。大名や公家、朝鮮通信使が寄港したことでも有名です。島内には当時の景観を再現した町並みや資料館があり、下蒲刈島独自の観光資源となっています。」

早速の段取りとして、航路計画、島の概略地図、飲食店、内覧施設、係留可能な港の物色と予約。

この島には呉市管理の桟橋がありました。今回係留料8円!!

 

さすが海を理解している広島ですね。

母港を出航して松山市安居島の横を抜け約1hの航海で無事到着。

石畳の海沿いの道を散策しつつ美術館や通信使施設を見て回ります。

 

そして待望の食事なのですが・・・

やってしまいました・・大チョンボ・・確認不足・・・危機管理意識の欠如・・・

この日、橋繋がりの別の島でイベントがあったらしく、この界隈の飲食店はそっちの

島に出店で想定外の臨時休業・・・

「昼飯難民」です。

無いとなったら途端に腹がへるものでメンバーから「どうする!?」「どうします!?」「どうしたらいいんじゃ!?」とブーイングの嵐(笑)

たかが一食、されど一食、現在時間は12:00。ここからの地図を思い浮かべ

なるべく最短で、帰りの航路に順じて、係留可能で、費用対効果の高さで、景色の良

い、海を満喫できて、etc 必要条件から脳内検索します。

「よしっ!40minほど我慢です、行きましょう~いざ食事に!」

帰りのガソリンと経路も考えて、海水パンツでウロウロしてるクルー(一名)の事も考

えて、高級店を外し、ドレスコードの無いところ・・・

かつて南北朝時代に南朝の懐良親王が滞在された中島です。

そのうんちくをメンバーと交わしながら、やっとの思いで食事と相成りました。

急な訪問でも快く受け入れてくれた「あまや」さんに感謝です。

  

汗疹を潮水に浸けると良いと言う治療法を実践する者も

おりますが(笑)

 

さて、物事にはそれが仕事であろうと遊びであろうと、

段取りが重要です。

行き当たりばったりも面白いですが、危機管理を伴う時には、やはり段取りです。

そしてそれが思うように行かない時も当然あるのです。

その時の即時の対応、考え方、行動、知識、経験、これが本当に大事だと思います。

「亀の甲より年の劫」諸先輩方に色々助けられながら、何事も正解に極めて近く進め

ていきたいものですね。

 

愛媛エステートはその問題点と解決策を試行錯誤しつつ、目的に沿ったなるべく最善の答えを導く事を目指しております。

その土地地域の人、不動産、を理解し何が一番適しているかの有効利用を想定したり、逆に目標を達成するためにはその不動産をどうすれば良いかの提案を、
行政、法令、経済、慣習、マインド、とあらゆる観点から見つめて参ります。